前回の記事「わたしが断酒を決意した理由」とかぶるのですが、なぜ禁酒ではなくて断酒・卒酒という選択をしたのか、もう少し詳しく書いてみます。
お酒をやめる、飲まないことを意味する言葉に 断酒、卒酒、禁酒、ソーバーキュリアスがあります。
あくまでわたしの中で、ですが、
てな感じで定義しています。
断酒と卒酒も厳密に言うと違うのかもしれませんが、ニュアンスの違いであって、もう一生飲まないという点では同じではないかなと。
なんだか意識高そうでかっこいいのはソーバーキュリアスな状態なんですけど、これができる余裕があるなら断酒なんて選択していません。
わたしは、お酒大好きひとり飲み大好きでした。
しかしこのまま毎日ダラダラと飲んでいてはだめだ、という危機感は常にあり、急に思い立っては禁酒したり節酒したり休肝日をもうけたりしていました。
でも何度挑戦しても、効果を感じる前に苦しくて挫折してしまう。
なんだかんだと理由をつけて、いつの間にやら寝落ちするまで飲酒する毎日に元通り。
だから断酒をしました。
断酒するなんて意思が強い!などと言われるのですが、いやいや、一番楽ちんなんです。
禁酒も節酒もつらいです。
医者が言う適量って少なすぎませんか?あれでやめられる人は神ですよ。
週に2日は休肝日?そんなの苦行でしかないです。
わたしにとっては、どれもこれも相当な精神力が必要でした。
それでも、それなのに、何年も何年も「どうか断酒だけは勘弁してくだせえ!」と、どうにかこうにか、ずっとお酒を飲める方法はないものか、お酒と適度に付き合う方法は本当にないものか、あがいていました。
その期間が本当に長かった。辛かった。
そんなものは、ない。
断酒するしか、ない。
そう、認めることができるまでに、諦めることができるまでに、一体何年かかったか。
一度認めたら、肩の荷が下りたようにスッと楽になりました。
もちろん世の中には、お酒と適度に付き合えている人がたくさんいるのは知っています。
わたしができないだけなんです。
しかし世の中にあれだけの断酒指南本があるところを見ると、わたし以外にもできない人がいっぱいいるんです。
できない、というか、お酒のせいで脳がやられて、できなくなってしまったんです。
と、わたしは思っています。
岐路は何度かあったはずなのに、気が付けなかった。
もう少し早くから適量を心がけていれば、今もただただ楽しくお酒を飲んでいたのかな・・・。
そんなことを時々考えます。
もうあとの祭りなんですが。
断酒、卒酒→ 一生酒を飲まないこと
禁酒→ なにかの目的のために、ある一定期間酒を飲まないこと。目的が達成されたら飲む
ソーバーキュリアス→ 飲めるっちゃあ飲めるけど、あえて飲まない状態、しらふでいることを選択すること。たまに気をつけながら少量飲む